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トンネル Der Tunnel

ローランド・ズゾ・リヒター監督

(2001年ドイツ映画)

だいぶ前に姉妹ブログで話題になり、興味を持っていました。

ベルリンの壁が建設された直後、地下にトンネルを掘って、東から西への脱出を試みる・・という、実話をベースにしたサスペンスタッチの内容です。

地下が主な舞台ですから、当然と言えば当然なのですが、画面が全体的に暗いのと、このトンネルに関わるさまざまな人のエピソードが入り乱れて、物語の構築面で、多少一貫性を欠いていた気がします。

東から西へ脱出した人、西で待っている人、東から出るに出られないひとたち、それぞれの事情と思惑が絡み合うエピソードそのものが入り乱れること自体は悪くないと思うのですが、それぞれの場面転換での画面処理が散漫な印象を受けました。

私の想像力欠如のせいかもしれませんが、時々エピソードがこんがらがって『アレ?!』と思う場面がいくつかありました。

当たり前のことかもしれませんが『西側から見た救出劇』という印象が強いです。
例えば、このトンネル建設を結果的に阻止できなかった『大佐』の事情や、東側の事情をもう少し突っ込んで描いてもらいたかったかな?という気がします。

東側の人間の心の動きの繊細なリアリズムという点からは、先日ご紹介した『グッバイ・レーニン!』の方が、遥かにヴィジョンがはっきりしていると思います。時代も違いますから、一概に比べることは出来ないのですけどね。

とは言え、当時の様子がこうして映画で見られることは、ドイツに対する関心をより深めるきっかけにもなりますし、政治体制が及ぼす悲劇が、私たちにとっても決して『対岸の火事』ではないことを、改めて実感しました。

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映画」カテゴリの記事

コメント

グッバイ、レーニン!  と この映画(トンネル)は視点がかなり違うでしょうね。

この映画(トンネル)の場合、全体主義国家の恐ろしさを身をもって体験した人の視点から描かれていると思います。

対して、グッバイ、レーニン! のほうは、それなりに体制と折り合いをつけてやってきた人たちが主役です。若い人の場合は折り合いをつけるもなにも生まれたときからそこにある当たり前の世界です。デモ参加など、多少の反体制行動もためらうこともないわけです。

逮捕されたデモ参加者がどういう運命をたどるのかは、主人公の若者も私たちも知らないままです。トンネルでは主人公はもちろん、自殺する老婦人、恋人を失った若い女性、老婦人の息子、脱出に失敗して捕まったカローラの恋人、脱出を支援するイタリア系アメリカ人などは、それを体験し知っています。そしてグッバイ、レーニン! の母親も知っているのです。

あそこで心臓発作を起こしてしまった彼女、反体制行動をする息子がショックだったというより、結果に対する恐怖が引き金だったのではないでしょうか。彼女は筋金入りの体制派ではなく、熱心な活動的社会主義者の顔は、母親としての最善の保身だったのではないかと思います。こちら、トンネルの主人公の妹が、もし東で生活を続けざるを得なかった場合、彼女が取るべき道と、重なります。

脱出の失敗は、カローラの運命です。彼女の場合は、最終的に子どもを脱出させることで、反体制を貫き、後に夫と子どもと再会できたと言えるでしょう。グッバイ、レーニン!の母親は、子どもたちのために、そして、自らも人生最大の過ちと述懐するように、恐怖心から、愛する夫をあきらめたのです。

いずれにしても、このような選択を迫られる社会で生きることは想像を絶します。とりあえずまだのほほんと暮らせる社会に生きている幸せを感謝したくなります。明日のことはわかりませんけど・・・

>グッバイ、レーニン!  と この映画(トンネル)は視点がかなり違うでしょうね

そうですね。ちょうど壁が出来た頃と、崩壊直前直後・・ですから、時代的にもズレがありますものね。
『トンネル』の時代には、まだ東ドイツやソ連が力を失っていなかった時期ですから、どっちに転ぶのか(資本主義と社会主義の対立)は、ごく普通の人たちにはわからなかったと思います。

脱出した人、出来た人は英雄視され、結果的に『勝ち組』だったかもしれませんが、では東に残った人、『トンネル』の母親のように、熟考の末に残らざるを得なかった人は『負け組』と括れるのかと問われれば、答えは勿論『否』でしょう。

脱出するも残るのも、命がけだったことでしょう。

その『残った側』からの視点として、『グッバイ・・』の方が心に響いてきたかな?というのが正直な感想です。

>このような選択を迫られる社会で生きることは想像を絶します。

そう・・だから気軽にセンチメンタルな気分で『ああ、大変だったのね』などとは言えませんよね。

ちょっと語弊があるかもしれませんが、撮り方が何となくアメリカ映画に近いような気がしたのも、違和感があったのかもしれません。ドイツ映画だから、もっと硬派に撮れ!という意味ではないのですけどね(^^;

>撮り方が何となくアメリカ映画に近い

かもしれませんね。お話の中にもありますが、大手報道企業が、BBCだったかな? が、撮影を条件に資金援助したトンネルですしね。

ミニコミ的体験実感ですけど、ドイツ人の「アメリカかぶれ」はけっこう相当だと思います。(もちろん、人によりますし、日本人が言えることではない〜〜ってところですけど)

手がすべったようで、行っちゃいましたので、追記です。

>その『残った側』からの視点
これ、同感です。亡命とか脱出はもちろん大変勇気のいることなのは間違いないのですが、だからと言って、残った人が「体制擁護派」とか「臆病者」とは、私も全然思いません。そこで、なんとかやっていかなければならない、そして、あのお母さんのように、少しでも自分たちの国を良くする方向で関わっていこうとするのが、大多数の良心的な人々だと思います。

「脱出」を企てなければならない「国家」、これを告発するものとして、こういう映画の意味があると思います。決して「脱出の勧め」ではないことが、この映画からは伝わってくると思います。

私も二つの作品を見ました。「トンネル」がずいぶん先ですけど。
ヴァラリンさんが、この二つの映画を比較して、「グッバイ・レーニン」により共感を覚えた・・・というのに、ううーーん、世代の違いかな? と思いました。

もちろん、ヴァラリンさんご自身がおっしゃっているように、「ベルリンの壁」関連というだけで、比べるのには無理があるというか、比べるべきではないと思います。
「トンネル」は命懸けの話で、「グッバイ・レーニン」は、共産主義体制のもと一応普通に暮らしていた人達のとまどいを描いたのかな? お母さんは、過去につらい選択をしていますけど。
はっきり言って、この監督がなにを描こうとしたのかよくわかりません。

私の場合は、「グッバイ・レーニン」はコメディータッチで面白かったのですが、かなり、もやもや感が残りました。
母親は、社会主義体制が崩壊してベルリンの壁が壊れたことを知って、ほんとうにショックを受けるでしょうか?
彼が、最後までお母さんを騙す・・これは、まさに体制側がやっていたことではないですか。(ここが重要)

お母さんが、別荘で真実を子供達に話しますが、あそこで、騙すのはやめてほしかった。
それと、息子がデモに参加してつかまりますが、母親の功績で、釈放されますね。でも、他の捕まった人達はどうなったのかいっさい触れていません。そのへんもずいぶん甘く仕上げていますよね。

ということで、実は共産主義独裁大嫌いな私には、「グッバイ・レーニン」は、もやもや不満の残る作品だったんですよ。
この感じ方の違いは、世代の違いかもしれませんし、私が受けた教育のせいかもしれません。

edcさん、keyakiさん、コメントありがとうございました。

私のほうに、いわゆる『東側』に対して多少感傷的なイメージがあるのは否めません。でもそれは決して、共産主義独裁を礼賛しているのではないんですけどね。

その国の文化や歴史、また大多数の個人と悪しき政治体制は別だと思いたいです。

keyakiさんが仰るように、『グッバイ・・』の方には、あちらの感想にまとめたように、作りが甘い部分があると思っています。
でもこの映画は最初から、そういうのを追求するのが目的ではないと感じたので、それでいいんじゃないかな・・と、思えたんです。

『トンネル』は、edcさんが仰るように『脱出の勧め』ではないことは勿論ですが、内容云々よりも、サスペンスなのかドキュメンタリーなのか、それともヒューマンドラマなのか、その辺りの構成が、私には伝わりにくかったということであって、扱っている内容自体を否定しているのではありません。

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