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オペラ歌手さんのレパートリー・主に出身地に関連して

いつまでもメランコリー気分で壊れたまま・・というわけにもイケマセンので(^^;
今日はリハビリを兼ねて、姉妹ブログ・edcさん宅のネタに便乗します。

edcさん宅の関連記事

>生まれた国もある程度影響するかもしれません。

このご意見には同感です。恐らく、一番制約を受けないのがイタリア人ではないかしら?
→つまり、イタリア・オペラだけで充分にやっていける・・という意味です。

自国のオペラ以外ですと、フランスオペラに手をつけるかたはいらっしゃいますが、ドイツものには殆ど手をつけている方は、いらっしゃらないのでは??

ですが、イタリア人歌手自体の数は減っているのではないでしょうか?

ドイツ語圏のオペラハウスで、イタリア物を上演する際、ドイツ人歌手がイタリアオペラの諸役を手掛けることは、ままあります。

「ドン・カルロ」でも、例えばブレンデルや、最近の歌手さんではローマン・トレーケルなども、ロドリーゴ(トレーケルは、来年1月のリンデンでの「ドン・カルロ」で初挑戦)を歌ってますね。

録音に残っているものは少ないですが、今でも(寧ろ今の方が増えているかも・・)ドイツ語圏の劇場でのイタリアオペラは、ごく普通のレパートリー公演の場合、殆どイタリア人抜きで上演されることが一般的だと思います。

私が先日見てきた、ベルリン国立歌劇場の《ラ・ボエーム》でも、主要キャストにイタリア人は一人もいませんでした。ロシア人2名、スロヴァキア人1名、メキシコ人1名、そしてドイツ人2名です。

ロシア・東欧系の歌手は、自国のオペラを上演する際には勿論重宝されると思いますが、彼らが逆にイタリア物を歌う時、発声法の違いに違和感があるという意見がよく見られます。

ロシア出身の歌手には、外国の記事では"Russian singer"、日本の記事でも「ロシア出身の・・」というのが、必ずと言っていいほど、枕詞のようにつきまといますしね。

それでも、ロシア国内、ひいては東欧以外の場所では、一般的に自国の作品の上演率が圧倒的に少ないですから、必然的にイタリア&フランスものをやる歌手が多いのではないかしら?需要が多いですしね。このあたりは、仕方ないと思います。

節操がないとか、あれもこれも・・と言われても、特に若いうちは、声質に合った役ならば、何処の国の、どんなオペラの役でも・・という姿勢でなければ、仕事も来ないでしょう。

若いうちにバリバリ歌って声を損ねる・・という意見、以前もありましたが、寧ろ若いうちは仕方ないと思います。
旅から旅への生活、収入も決して多いわけではなく、食べていくのが精一杯・・というところでしょう。これはロシア・東欧系の歌手に限らず、南米系歌手にも同様のことが言えるかと思います。ともすれば、自国民以外の若い歌手=使い捨てに陥りかねないという、厳しい側面もどうやらあるようです。

ですが、ある程度のステイタスを築き、自分で仕事を選べるような立場になったら、方向性をきちんと持つべきだと思いますし、私はそういう歌手に、より惹かれます。

話がそれましたが、まだまだ少ないようですが、徐々にドイツオペラを手掛けるロシア系の歌手も増えてきていると思います。

これは、イタリア人歌手の減少と同様に、ドイツ人の歌手も減ってきているので、そうなってくるのは、ある意味必然ではないかと推察します。

特に男声低音歌手の場合、特定の劇場に専属している若いうちに、ごく小さなドイツオペラの役(例えばマイスタージンガーの「夜警」等)を歌ったのをきっかけに、声質に合わせて少しずつ大きな役を歌うようになる・・こともあるみたいです。

私など、聴き手専門でして、音楽の専門家でははありませんから

・声に任せた大味な歌い方でないこと
・非ネイティブでも、言葉を大事にし、丁寧に歌っている歌手
・声そのものが好みの歌手(ちょっと憂いを含んだ声が好きかも・・^^;)

・・であれば、別にイタリアオペラにしろ、ドイツオペラにしろ、何処の国の発声法だろうが、歌い方だろうが構わないです。好きな歌手なら、尚更です。
でも役柄、そして作品そのものに対するメンタリティの違いは微妙にあるかもしれませんね(^^;

寧ろ気になるのは、ドイツ語の切れのなさです(^^;

特にドイツ語の場合、英語圏の歌手さんたちが歌った時に、強く感じることが多いです。
英語とドイツ語は、同じゲルマン語ですけど、特に米語の場合、地方によってはまるっきり抑揚がなく、カチカチした感じのドイツ語とは最も対極にある気がします。

このあたりの出身地の方の場合、なかなか難しいのかもしれません・・;

また、ロシアオペラには、西洋音楽とは少し違うような、独特の雰囲気がありますので(これも専門家ではありませんから、あくまでも私が感覚的に捉えていることです)出来れば、ご当地キャストで聴きたいなーというのが本音です。
これも一種のメンタリティかもしれませんね。

以前ホフマンが、某有名テノールの《ローエングリン》を見て、「メンタリティが違う」と言っていたとかいう意見を目にしましたが、そのあたり、巧く突いているなぁと思ったものです。

だって、私もその方のローエングリンには、何とも言えない違和感を感じましたから(^^;;;

・・ごちゃごちゃ色々書きましたけど、要するに(馬鹿馬鹿しい話ではあるのですが)好きな歌手が何処の出身なのかにもよって、好みが大きく分かれるような気がします・・^^;

(・・そんな馬鹿なことを思っているのは、私だけでしょうか?^^;)

もちろん、だからと言って、その出身地の歌手全員がいいとは思っていませんし、逆に「○○出身だから・・」ということで、十把一絡げにしないでもらいたい・・とも、強く思っています。

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オペラ」カテゴリの記事

コメント

TB、ありがとうございます。こちらからもします。

>「メンタリティが違う」
ホフマンの声楽教師エミー・ザイバーリッヒも言っています。
「残念なことに、ドイツ人の優秀な若手歌手の数は少ないです。外国語を話す芸術家に反対するわけではありませんが、すばらしい例外はあるにしても、やはりメンタリティーは別のものです。」

>>生まれた国もある程度影響するかもしれません。
>このご意見には同感です。恐らく、一番制約を受けないのがイタリア人ではないかしら?

「イタリア人が一番制約を受けない」というのは、イタリア・オペラだけ歌ってやっていけるという意味でしょうか?

それなら、その通りだと思います。これは逆に見れば、外国のオペラは、興味は持っても、気楽に歌えない、自国の伝統の中にオペラがほとんどない国の歌手に比べると、抵抗が強いのではないかと思います。

ドイツ語圏でもそういう傾向は皆無ではないようです。かつてはドイツ語でイタリア物を含めた外国のオペラを歌うのが普通だったので、若いドイツ語圏の歌手もやりやすかったが、最近は原語上演が普及して、尻込み?する傾向があるというようなことをどこかで目にしました。

その辺りは、言葉に対する感性、畏敬の念などのレベルの問題があるのではないかと思います。

コミュニケーションの道具としての言語は、まあ、通じればいいのであって、言語そのものの美しさとか深さ、複雑さにこだわる必要がないというか、むしろこだわらないほうが上達します。しかし、オペラの歌詞といった芸術的レベルの場合、それでは困ります。たとえ、聴き手がその言語を知らなくても、そういうことは伝わるものだと思います。心に直接訴えるのは、むしろ言葉の持つ、美しさ、深さ、微妙さだと思います。

まとまらない長文、ごめんなさい。

>尻込み?する傾向

これは、原語を母国語とする歌手にはもちろんですが、他国の歌手にも、負けちゃう....ということもあるみたい......?!

edcさん、便乗させて頂いてありがとうございました。いいリハビリになりそう・・

コメントを頂いたあと、かなーり追記&訂正しました(^^;
ご質問内容に関しても、↑に追記しておきました。
そもそも、思いつくままにざざーっと書いたので、まとまりの悪い文章で失礼しましたm(__)m

>その辺りは、言葉に対する感性、畏敬の念などのレベルの問題があるのではないかと思います。

そうですね。その辺の感性が優れている歌い手ならば、非ネイティブであっても、ちゃんと聴き手に通じてくると思います。

歌は、単なる音符変換とはワケが違うと思うので、そういうことに気を配った歌手さんたちが、もっと増えてくるといいなぁと思います。

>ドイツ語上演、原語上演

今でも地方や、ベルリンでもコーミッシェオパーはドイツ語上演ですね。

そういえば、アメリカも田舎では英語上演が主流です。
私の生息地域にも、一応オペラカンパニーがあり、年に3,4回上演してますが(以前「サロメ」を見たところです。この時は珍しく、原語上演で、英語字幕がついてました)英語上演のことが多いです・・

面白い内容で、楽しく読ませていただきました♪そういえば、コヴェント・ガーデンの「ラ・ボエーム」もプリンシパルの国籍は中国、チリ、ポーランド、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、ということで見事に世界中に散らばっていた上、イタリア人がいませんでした(笑)そういえばダルカンジェロがレポレッロをやった時も「イタリア人のレポレッロ!」と騒がれていたっけ…。

>非ネイティブでも、言葉を大事にし、丁寧に歌っている歌手
ここが一番肝心ですよね。やっぱり歌手がその言語の細かいニュアンスを知っていると伝わってくるものが違いますし、それぞれの音楽もその言語に合わせて作られていますものね。

>気になるのは、ドイツ語の切れのなさ
最近は英語圏の歌手が活躍してますからね~。確かに、英語はまだしも、米語が母国語の人たちは大変そうです。まさか皆が皆ドイツに住んで語学勉強する訳にはいかないでしょうしね。(私個人的には、現代のドイツ語日常会話レベルの切れがあれば充分ですが)

>逆に「○○出身だから・・」ということで、十把一絡げにしないでもらいたい
正にそのとおりです!ロシアの歌手達も、色んな個性があるのに「ロシアだから」と無理やり型にはめられて評価されているような気がします。そんなこと言い出したら、例えば「イギリス」でくくってしまうと、トマス・アレン、ロドニー・ギルフリー、サイモン・キーンリーサイド、ブリン・ターフェルは皆「同じ分類」のバリトンですが、どう考えてもそれぞれ違う持ち味で活躍していると思いますので(笑)

>アメリカも田舎では英語上演が主流
イギリスのロンドンにある英語専門の歌劇場、といえばイングリッシュ・ナショナル・オペラ。ここは完全英語上演ですが、聞き取りにくいので「英語字幕」つきですよ…(実話)

私も長々とすみません!面白い話題だったのでついつい熱中して書いてしまいました。

サルダナパルスさん、コメント、嬉しいです(^^)
長文大歓迎なので、どしどし書いてくださいね!
負けずに長文のコメントを書きますから(^^;;;

>コヴェント・ガーデンの「ラ・ボエーム」

TBして頂いた記事で、再確認しました。
コヴェントガーデンの場合、ドイツ語圏の劇場とはまた事情が少し変わってくるかもしれませんけど(英語圏の方がおのずと増えてくる気がします)見事にバラけてますね(^^;

そちらや、アメリカだと例えばメトみたいに、劇場主催?の『ヤングアカデミー出身』の歌手さんたちの活躍も見受けられますしね。

>やっぱり歌手がその言語の細かいニュアンスを知っていると伝わってくるものが違いますし、それぞれの音楽もその言語に合わせて作られていますものね。

その通りだと思います。こちらが言葉がわからなくても、雰囲気で伝わってくるものです(^^;
それは、目で見る場合の演技にも表れてくるでしょうし、また音だけでも充分に伝わってくる・・それが「表現力」なんだと思います。

>>気になるのは、ドイツ語の切れのなさ
最近は英語圏の歌手が活躍してますからね~

はは^^;私が暗に言いたかったのは、とりわけワーグナーのヘルデンテノールの分野のことでございます(^^; もう、人材が払底しすぎていて、何も考えたくない状態が暫く続いていますから(--;

この分野、どうせ吠えるだけだから、言葉のニュアンスなんかどうでもいいじゃん~~とか、酷いことを言われることがありますけど、絶対にそんなことはないんですよ!

だって、ワーグナーは自分で台本を書いたんですから、それは言葉を聴きとって欲しかったからじゃないのかな~~とか、思ってます。

続きます・・

>ロシアの歌手達も、色んな個性があるのに「ロシアだから」と無理やり型にはめられて評価されているような気がします。

賛同いただいて、嬉しいです(^^)
自国の作品以外にはイタリア&フランスオペラしかやらない人、ドイツオペラやリートもやる人・・と、色々いますもの。
みんながみんな、「東へ数百キロ移動したヴェルディ」(←こういうのも、失礼な言い方だと思います・・)しかやっていないわけじゃないんです。

そしてお決まりの、いつでもどこでも「ロシア風発声には違和感が・・」とか、そういう紋切り型のご意見、悪いけどもう聞き飽きました。

ま、そこまで仰るのならば、無理して聴いて頂かなくて結構です。
もしかしたら、輝く宝物!があるかもしれないのに・・なーんて思ってます(^^;

お陰様で、随分いいリハビリになりました。どうもありがとう!
もうしっかり復活・・してるかな?^^!

それでは、お言葉に甘えて再び登場させていただきます。
>ヘルデンテノールの分野
そういえば今度のバイエルン歌劇場来日公演のタンホイザーもアメリカ人のギャンビルですね。彼のドイツ語の切れ味は(笑)どうなんでしょう?
>どうせ吠えるだけだから、言葉のニュアンスなんかどうでもいい
ええ~そんなのいやん、ですよ!こんなワーグナーに祟られそうなことを書く人もいるんですねぇ。

>コヴェントガーデンの場合、英語圏の方がおのずと増えてくる
そうですね。でも、ドイツ語オペラになるとドイツ語圏の人が多くなりますよ。特に「魔笛」はDVDでもキーンリーサイド以外のプリンシパルは皆ドイツ人ですし。

>「東へ数百キロ移動したヴェルディ」
そ、そんな言われ方をしているんですか、ロシアオペラは。私はそっちに疎いので全く知りませんでしたが、何が言いたいんでしょう?でもまだヴェルディが出てくるだけマシかもしれません。何せイギリスは20世紀に入る頃まで長い間「音楽の無い国」といわれ続けていましたから(笑)私的には、「ロシアの歌手=しっかり歌える人」ということでロシア歌手がキャスティングされていると嬉しくなりますけどね。今まで見たロシア歌手達は発声に違和感も無かったです。

>ギャンビル

・・(沈黙)エヘヘ、聴いた(見た)のはシュトゥットガルトの「ワルキューレ」だけですけどね(^^;うーん(--;
生で見ると違うのかも・・(^^;

>>「東へ数百キロ移動したヴェルディ」

あ、これはね、ロシアオペラがそう言われているのではなく、ロシアキャストで上演された、某ヴェルディの映像に対して、こういう表現を見たことがあったんです(^^;

私が言いたかったのは、自国のオペラ以外には、主にイタリアオペラで活躍するロシアの歌手さんたちが多く、その度に「違和感が・・」と言われるのはなんだかなー、と思ったからです。

つまり、イタリアオペラだけをやっている人ばかりではなく、ドイツオペラをもやるロシア人もいますよ~ということが言いたかったのです。

誰かさんのザラストロに惚れちゃった私(^^#としては(そして、彼の持ち役の中ではこの役が、最も定評があります)その辺をちゃんと言っておかないとね、と思ったわけです。ドイツリートもやるんですよ、彼。

で、その「発声の違和感云々」ですが、私には殆ど理解不能の「ビブラート」がかかりすぎるから・・というのが、大半のご意見だと思います。
発音がどうのこうのではないみたいよ?

>「発声の違和感云々」
「発声」というのはかなり声楽の専門的な概念のような印象をもってます。ど素人の私には、正直、理解できていないと思いますねぇ.....

「発音」これはまあ、なんとなくわかることもある感じです。それでも、私にとっては要するに私の耳に語感が美しいかどうかということです。震えが来るほど美しいというか生理的快感を感じる部分があれば、とっても満足です。

これは歌手一人一人の問題で、その歌手の母国語では、くくれないと思っています。母国語の人が有利なのは当然でしょう。

edcさん、最初の主旨から外れてしまって、ごめんなさい(^^;

>それでも、私にとっては要するに私の耳に語感が美しいかどうかということです。

そう。それに尽きるんですけどね・・

私が一番言いたいのは、出身地で一纏めにするのは差し控えて頂きたい、色んなタイプの方が、特にこれから出てくるかもしれないのに・・と思っているわけです。

もっとも、、傷心のヴァラリンさんちで、ロシア人歌手に対する偏見なんか、死んでも言えない・・と遠慮なさった方も少なからずいらっしゃったりして(^^;

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