« R.シュトラウス《ナクソス島のアリアドネ》 ザルツブルグ1965年 | トップページ | R.シュトラウス《ナクソス島のアリアドネ》 ザルツブルグ2001年 »

《エフゲニー・オネーギン》 クリーブランドオペラ

oneginsm張り切ってチケット取ったのはいいけれど、日帰りも出来ないし、2週間前の地元での《ゆじーの・にぇーぎん》にすっかり懲りてしまったので、とっても億劫な気持ちで出かけてきました。

結果は…まずまず。
大当たり!とまでは行かなかったけれど、予想以上に良い演奏でした。
面白いものでアメリカの地方都市でも、ちゃんとレベルに格差があるんですね。多少は舞台装置も垢抜けていたし、今回聴いてきた歌手達は、声だけだったらヨーロッパの地方劇場でも充分通用するレベルにあると感じました。

歌手達の経歴をざっと見てみると、一人を除いてアメリカ国内のみでの活躍のようですが、タイトルロールは、シカゴリリックオペラのアーティスト養成所?出身で、メトにも《トゥーランドット》の大臣役などで出演経験があるとのことでした。
やっぱり、アメリカではメトに出ることが、大きなステイタスとなっているのかもしれません。

今回もオネーギンという男性の解釈には???だったし、(ただの「嫌なヤツ」というだけではないと思うんですが…ニヒルで厭世的…なーんて感覚は、アメリカ人にはなかなか理解し難いのでしょう…)肩を揺らしながら歩くその歩き方、何とかしなさいよっと言いたいのはヤマヤマでしたけど(^^;一応歌はちゃんと歌えていたし、演技も、部分的には上手いと感じる面もいくつかありました。
前回みたいに、やたらに女性にベタベタする…ってヤツではなかったですしね(^_^;)

タチヤーナは、金髪碧眼、体つきもまずまず。遠目から見るとなかなかの美人でした。深い声で、中低音の響きがとってもキレイ。あの長い《手紙の場》も、破綻無く聴かせてくれました。

1幕では、娘らしいとても可愛い色合いの、ロシア風衣装を着ていたのですが、これがよく似合っていました。
3幕のオネーギンとのやり取りも、二人ともバテずによく頑張っていたと思います。動作がちょっと、メロドラマっぽくなってしまったのは、演出家の責任でしょう。いい演出家がきちんとした演技指導をすれば、恐らくもっと良くなるのでは?と思います。

ラーリナ夫人役で、Katherine Ciesinski が出演していたのですが、彼女は映画《愛の破片》に出演していたと思います。お姉さんの方かしら?
歌も立ち居振る舞いも、彼女一人が抜きん出ていました。決して大柄な方ではなく(とても華奢な体つきでしたが、ドレスの似合う美しい体型!)動きの一つ一つが決まっているし、大地主の女夫人としての風格充分でした。

やっぱり、ヨーロッパで長年歌ってきた人と、アメリカ国内のみで活躍中の若手との《舞台さばき》には、大きな差があると感じました。

それにしても、西洋人というのはダンスが出来るのが普通なんだと、子供のころから漠然と思っていたのですが…決してそうではないんですね(^_^;)
今回も、舞踏会のシーンでは、本当にこれが《いわゆる西洋の》ダンスか?!と目を疑いたくなりました。この場面や、農民たちの民族舞踊は、またしても「アメリカの西部劇」そのものと化してしまうのが、面白いというのか、これがアメリカの文化なのか…

そういえば「オペラの筋を知らないで来ているお客さんが、字幕を見て笑う」のも、こちらでオペラを見ていて奇妙に感じることの一つですけど、今回もやってくれました(^_^;)
3幕の冒頭、オネーギンがグレーミン公爵亭へやってきたときのつぶやき:

"I'm bored,here" 

これを見て、皆どっと笑いましたね(^^;

そりゃ確かに、「退屈なら来るなよーー;」と突っ込みたくはなるんですけど、笑われちゃうのには、オネーギンの役作りに説得力が欠けるせいかもしれません。

いかにも陰のあるニヒル!厭世的!な男が、物憂い感じで「僕は何をやっても、退屈なんだ…」と言えば、決して笑われることはないと思うんですけどね。なかなか、アメリカ人には理解し辛い部分なのかもしれません。

色々言いたいことはあるんですけど、こういう「アメリカ色の強いオネーギン」は、こちらでしか見られないものだと思えば、この2回の実演体験は、文化とメンタリティの違いを考える上で、非常に興味深いものでした。

ちなみに、オーケストラはかの有名な《クリーブランド管弦楽団》のオケがピットに入るわけではなく、《クリーブランドオペラオーケストラ》という楽団が、ちゃんと別にあるようです。

指揮はもう…「やってます」の範疇を超えずに、かなーりイライラしたんですけど、シカゴやメトのようなスター歌手は出ませんが、それなりのレベルの歌手を使っていますし、演奏全体のレベルはまずまず…と言ったところでしょうか。インスピレーションには欠けますけど…

それでも「遠くから来たのに、がっかり…」という気分にはなりませんでしたし、「やっぱり生は、それなりに見どころがあって面白いよね」ということで、片道8時間かけて行き帰りした甲斐があったというところです。
要するに、あまり入れ込みすぎずに出かけることが、素直に演奏を楽しむコツなのかも…(^^;

興味のある方、キャストはこちらからどうぞ。

« R.シュトラウス《ナクソス島のアリアドネ》 ザルツブルグ1965年 | トップページ | R.シュトラウス《ナクソス島のアリアドネ》 ザルツブルグ2001年 »

オペラ」カテゴリの記事

コメント

楽しい観劇だったみたいですね^^!
またオペラとずれたところに反応・・

>西洋人というのはダンスが出来るのが普通なんだと、子供のころから漠然と思っていた

そう、私も漠然と・・ でも、違うんだ・・って。
まあ、嫌がる人種のほうが多いみたい。
いわゆるラテン系はちょっと動いても様になるみたいですけどね^^; 片手をお腹に当てたり、両手上げてリズムとって、ステップ踏む仕草、ごく自然にできるみたいで、かっこいいですよ・・

edcさん:

>いわゆるラテン系はちょっと動いても様になるみたいですけどね^^; 

でしょうねぇ…腰つきとか、違いますものねぇ。
(変な意味じゃありませんよ^^;)
以前英会話のマイノリティパーティで、いきなり踊り出したラテン系の人がいましたけど、様になってましたね。

そういう歌手が、エスカミーリョをやるとカッコイイんでしょうね。ロシアのバレエっぽいダンスとは、ちょっとどころがだいぶ違う気がしますし。

(なんでこの話になるんだぁ^^;;;もう、ちゃんと牛と戦えるんだろうかとか、すっごい心配なんですぅ><;)

ヴァラシエンヌさんの2回の『オネーギン』の感想を読んでいて、この作品ってなかなか難しいんだなぁ~、と感じ、なんだか無性に聴きたくなってきました(笑)。実演のチャンスは当分なさそうなので、購入したものの未聴状態でほったらかしの小澤さんのウィーン国立歌劇場盤CD(Orfeo)でも聞いてみます。

とりあえず日本で『オネーギン』上演を発表しているのは、2008年東京オペラの森が上演するものだけですね。小澤さんを中心にした音楽祭です。チケットが高そうだなぁ……。

片道8時間! お疲れさまです。
レポート面白かったです。
キャストをクリックして、ハンプソン?かと思いました。

>ちゃんと牛と戦えるんだろうかとか、すっごい心配なんですぅ><;
写真を見ましたが、闘牛士の設定じゃないみたいな、あの衣裳も着なくていいようですけど・・衣裳の問題じゃないって、、(笑)

それより、ダーラントのほうにビックリしました。
まあ、イタオペの場合は、ティムールは若手バスの登竜門的な役ですが・・・どうなんでしょう。

思い入れの強い作品は、どうしても期待も大きくなってしまいますよね。今回はまずまず、ということでしたけど、もしこの前の公演を見てなかったら??(笑)クリーヴランドは「文化の街」として売り出している?ような雰囲気なので、ある程度のレベルは保っているのではないでしょうか。有名な「クリーヴランド管弦楽団」も同じ都市にあることですしね(笑)

>文化とメンタリティの違い
そうそう、日本にいると「欧米」とひとくくりにしがちですけど、ヨーロッパとアメリカではやっぱり大きな違いがありますよね。特に日常生活に関わる細かい部分になればなるほど違ってきて、こちらにいるアメリカ人が色々と戸惑っていました。

keyakiさん>
>キャストをクリックして、ハンプソン?
わははは(^o^)ほんとだ~。そこはかとなく似てますね。

オデュッセウスさん:

多分、日本で上演される《オネーギン》のほうが、よりオリジナルに近い(=つまり、ロシアっぽい)雰囲気になると思います。ソフトでも、実演でも一度ガツンと来るものに当たってしまえば、きっと克服?できると思いますよ(^^;

Keyakiさん:

>キャストをクリックして、ハンプソン?かと思いました。

はは^^; あえて書かなかったんですけど、実物も似てましたよ。この人はそんなに背は高くなかったですけどね。

>写真を見ましたが、闘牛士の設定じゃないみたいな

リンデンの写真は、プレミエの時に歌ったブラッハマンなんですよね。黒い衣装、よく似合ってステキだと思います…って、他の注目歌手がやれば、素直に「いいじゃん?!」と、さらっと言えるんですけどねぇ…

>それより、ダーラントのほうにビックリしました。

うっ、イタイトコロを…(笑)
これは2年前の、リンデンマドリッドツアーの時にも歌ってるんですよ。
ワーグナーの作品の中では、ダーラントは比較的軽いバスの役だと思います(^^;

強欲オヤジと伊達男闘牛士、どっちもどっちかしら…

とは言え、いんちきワグネリアンとしては、ワーグナー歌ってくれれば、それだけで嬉しいんですよ(^^;ハーゲンみたいな重い役は難しいでしょうけどね。

サルダナさん:

あら?被っちゃいましたね(^^;

>もしこの前の公演を見てなかったら??(笑)
う==ん…どっちにしても「西部劇風」になるのは否めないというのは、ある程度予測してましたからね(^^;

昨日シカゴリリックオペラの映像を見直しましたけど、クリーブランドとシカゴの差は、やっはり資金力かも…とも思います。オカネのかけ方は、随分違うなぁって思いました(^^;

でも「クリーブランドオペラ」の入れ物は、ミュージカルや演劇、その他も何でもやるような、なんというのか「映画館が大きくなったようなもの」なので、「えっ、ホントにここでオペラやるの?!」って思いましたよ。
カメラ持って行くのを忘れちゃって、写真取れなかったのが残念ですけどね。

>ヨーロッパとアメリカではやっぱり大きな違いがありますよね。

ですね…多分アメリカが特殊なんだと思います。都市によって多少はばらつきはあると思いますけどね。元は同じルーツの人たちなのに、不思議ですよね~~

この記事へのコメントは終了しました。

« R.シュトラウス《ナクソス島のアリアドネ》 ザルツブルグ1965年 | トップページ | R.シュトラウス《ナクソス島のアリアドネ》 ザルツブルグ2001年 »

Search




  • WWW here

カテゴリー

2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ