レパートリーから:ピーメン(Pimen:ボリス・ゴドゥノフ)Vol.2
《ボリス・ゴドゥノフ》の作品中、ピーメンの登場場面は、2ヶ所あります。
最初のシーンは初稿版(1869年版:《原ボリス》と呼ばれることもある)では第2部、第1場、それ以降の改訂版では第1幕、第1場と呼ばれています。
場面的に言うと、ボリスの戴冠式の場の直後に当たります。
もう一つは後半の、いわゆる「ピーメンの語り」の場面ですが、こちらは追々。
初稿版では、ピーメンの「皇子殺し」の語りの部分が後の改訂版に較べると長いのですが、この部分が具体的にどういう内容なのかを含めた、ピーメンとグリゴーリーの対話のシーンの日本語の訳詩を載せておきます。
赤字の部分が、後に改訂されカットされた部分です。物理的な時間としては、4分半~5分くらいですね。
今日はとりあえず歌詞の紹介のみ、後日私が個人的に気になった箇所に、注釈をつけますね。
(※以下引用はゲルギエフ指揮キーロフ・オペラ「ボリス・ゴドゥノフ(1869年版&1872年版 全曲」(発売元:フィリップス PHCP-11178/82,録音:1997年)」より)
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夜、チュードフ修道院の僧坊
(ピーメンがランプの前で書き物をしている。グリゴーリーは眠っている)
ピーメン:
(書き物の手を休めて)
もう1つ物語を書き上げれば
私の年代記は完成する。
罪深い私に神が授けた
仕事がこれで成就する。
(書き始める)
(再び手を休めて)
主が、この私を長い歳月の
承認にされたのは理由があった。
いつしか、勤勉な修道僧が
私が心血を注いだこの名もない
仕事を見いだすことだろう。
今のこの私と同様、
ランプに灯りをともし
積もりつもった羊皮紙の埃を払い
真実の物語を書き写すことだろう。
そして正教の子らは知るのだ。
祖国の大地に過ぎ去った運命を。
(物思いにふける)
年老いて、私はふたたび生きている。
過ぎた昔が、走馬灯のように甦り、大海のように波打っている。
波乱に満ちたあの時代から
どれほどの月日が流れたというのだ…。
いまはそれも鎮まり、物音一つしない!…
だが、その日は近い…
ランプは燃えつき…
(書き物をする)
最後の物語をもう一つ…
(書き続ける)
修道士たち:
(舞台裏で)
不屈なる、義しき神よ。
汝に祈りをささげる
下僕(しもべ)らに耳傾け給え!
汝を信じる子どもらを
狡知に長けた偽りの精霊から
守り給え!
グリゴーリー:
(眠りから覚める)
またしても同じ夢だ!…
同じ夢を見るのはこれで3度目だ!
つきまとう、呪わしい夢…
老人が机に向かって書き物をしている
どうやら、この一晩、
まんじりともしなかったようだ。
ぼくはどんなに愛していることか。
ひたすら過去に浸り、心静かに
どっしりと年代記に打ち込む
あの穏やかな姿を。
(ピーメンに近づき、深くお辞儀をする)
ピーメン:
お目覚めかな、兄弟?
グリゴーリー:
神父さま、どうかこのぼくに祝福を授けてください。
ピーメン:
(立ち上がって、十字を切る)
主よ、この者に祝福を授けたまえ、
常に、永遠(とこしえ)に。
(腰を下ろす)
修道僧:
(舞台裏で)
神よ、我が神よ、
あなたはなぜ、わたしを見捨てたのです!
グリゴーリー:
(のびをして)
神父さま、あなたは一時も眠らずに
書き物をしておられた。
なのにこの私は、恐ろしい夢に
安らぎを乱され
悪魔に苦しめられる始末です。
こんな夢を見たのです。急な階段を上り
やがて塔の上に出ると、
モスクワが一望の下に見える。
人々がまるで蟻のように
廊下の広場に
ひしめき、笑いながら
このぼくを指さしているのです…
ぼくは恥ずかしくなり、
恐ろしくなって…
まっさかさまに落ちていく。
そこで、目が覚めたのです。
ピーメン:
若い血の悪戯(いたずら)じゃ。
祈りと精進でおのれを
鎮めるがよい。そうすれば、おまえの眠りは
軽やかな夢にみちたものになろうぞ。
わしでさえ、この年になっても、
ついまどろみに誘われ、
夜の祈りをおろそかにすれば、
昔日夢が騒ぎ出し、罪に汚れたものになるほどじゃ。
騒々しい酒盛りやら、
戦場での戦いやら、
若い頃の愚かな気晴らしやらが夢に出てくる…
グリゴーリー:
なんて楽しい青春を送られたのでしょう!
カザンの塔の下で戦ったり、
シュイスキー公のもとでリトアニア軍を撃退したり
イワン雷帝の豪華な宮廷までご覧になった!
でも、このぼくは、幼い頃から
僧坊をわたり歩くだけの、哀れな修道士。
どうしてこのぼくには、戦場での楽しい思い出や
皇帝の食卓での酒盛りに与れないのか…
ピーメン:
(グリゴーリーの手を止めて、穏やかに)
嘆くでない、兄弟よ、
罪深い俗世を早々と捨てたことをな。
わしの言うことを信じるのじゃ。遠く離れていればこそ、
贅沢な暮らしやら、
女たちの狡猾な愛に惹きつけられる。
息子よ、偉大な皇帝たちのことを
考えてもみよ-
彼らよりも高い地位に座るものがおるか?ところがじゃ。
彼らはひっきりなしに
マントや豪華な王冠までも
修道士の粗末な服に替え
神聖な僧坊で
魂を休めてきたではないか。
この僧坊にしても、
あまたの辛酸を嘗めた正義の人キリルが
住んでおられた。
わしはここで皇帝のお姿もこの目にした。
われらの前で、イワン雷帝が
物思いに沈み、静かに腰を下ろされ、
その口からは静かに言葉が溢れ、
厳しい目には
後悔の涙がにじんでおった…
そして帝は泣いておられた…
(考え込む)
しかし、帝の息子のフョードルはどうか!
彼は皇帝の宮殿を
祈祷のための草庵に変えてしまわれた。
帝の謙虚さを神はお気に召されたのか、
ルーシは帝の在世中、
穏やかな栄光に浴し…
フョードル帝御崩御の際には
前代未聞の奇跡が成し遂げられたのじゃ!
宮殿はかぐわしい香りに満たされ…
帝の御顔が太陽のように輝いておられた!…
あのような皇帝に二度と相まみえることはなかろう!
われらは神を怒らせ、
罪を犯し、
皇帝を殺めた(あやめた)者を
(低い声で)
みずからの君主に任じてしまったからじゃ!
グリゴーリー:
(ピーメンが話している間、テーブルのそばに座って熱心に耳に傾けている)
神父さま!ぼくは以前から
ドミートリー皇子の死について
お訊きしたかった。
人の話では、あなたは当時
ウーグリチの町におられたとか?
ピーメン:
ああ、覚えているとも!
あの悪事を、あの血塗られた罪を
この目にするようにと
主はこのわしをお遣わしになった。
当時、わしはとある用事で
ウーグリチに派遣された。
(抑えた様子で)
到着したのは夜…
ところが翌朝、ミサの時刻に…
突然、鐘の音が聞こえてきた!
銅鑼を打つ音、叫び声、ざわめき、
人々が、皇后が宮殿に走っていく。
わしもそちらに急いだ。見ると
惨殺された皇子が
血の海に横たわっておられた。
母后は気を失って
皇子の上に倒れておられる
不幸せな乳母は
絶望にくれて泣き叫んでいる。
一方、広場では民衆が
怒り狂い、恥知らずな裏切り者の乳母を
引きずり回しておったのじゃ。
ああ、なんという嗚咽!…呻き声!…
そこへ突然、彼らの間から
怒りに青ざめた、狂った
ユダ、ビチャゴフスキーが現れた…
「あいつだ、あいつが下手人だ!」
-一斉に叫び声が響きわたったのじゃ。
民衆は逃げていく3人の刺客の
後を追った。
こうして悪人どもは捕えられ、
まだぬくもりの残る幼子の亡骸の前に
連れて来られた…
すると何としたことか!…突然、幼子の死体が…
ぶるぶると震えだしたのじゃ!
「白状しろ!」-民衆はわめき立てた。
恐怖におののき…斧の脅しに屈して…
悪人どもは白状し…
(低い声で)
ボリスの名を告げたのじゃ…
グリゴーリー:
殺された皇子は
いったい何歳だったのですか?
ピーメン:
7歳ぐらいじゃった。
(思い出しながら)
待てよ!…あれから
10年ばかりが経ったか?…
いや、もっとじゃ、12年?…
そうじゃ、12年が経った。
生きておれば、今はお前と同じ歳で
この国を治めていたことじゃろう!
(ピーメンの言葉を聞き、グリゴーリーは大きく背筋をのばす。それから再び従順さを装い、長椅子に腰を下ろす)
ところが、神は別の裁きを下された。
わしはこの年代記を
ボリスの、許すべからざる
罪業でもって締めくくるつもりじゃ。
グリゴーリーよ!
おまえは読み書きを通して
知恵を啓いた。
おまえにこの仕事を委ねよう…
お前が一生のうちに
見聞きするすべてを
気取らず、ありのまま書きとるのじゃ。
戦争も平和も、
君主たちの統治法も、
予言や、
天に現れる徴も…
さて、わしもそろそろ
一休みせねば…
(立ち上がって、ランプの灯を消す。舞台裏から鐘の音が聞こえる。耳を傾ける)
朝の勤めを告げる鐘じゃ。
主よ、汝の僕たちに祝福を授けたまえ!…
杖をとってくれ、グリゴーリー。
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《ボリス・ゴドゥノフ関連記事》
2005年12月、ベルリン国立歌劇場でのプレミエ直後、舞台写真を見て盛り上がったときの記事:
・ボリス・ゴドゥノフ@リンデン vol.1
・ボリス・ゴドゥノフ@リンデン vol.2
私の、ピーメンに対する熱い?思い入れ…:
・Rasskaz Pimena
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コメント
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ヴィノグラドフさん、ピーメンがレパートリーなんですね。
まだ若いから、これから何度も何度も歌って、さまざまなピーメンを観せてくれることでしょうね。
あ、そのうちボリスを演るようになるのかな……!
投稿: しま | 2006/12/03 03:45
しまさん:
地味な連載に反応して下さって、嬉しいです!ありがとうございます(^^)
レパートリーに入れたのはちょうど一年前、去年の今頃です。
バーコードのかつらで、頑張っておりましたのよf(^^;
>これから何度も何度も歌って、さまざまなピーメンを観せてくれることでしょうね。
ですね(^^;
この作品とは彼自身も長い付き合いになることでしょうし、次回は白髪髭面老人を希望しているんですけどね(笑)
>そのうちボリス
そうですね。ファンの勝手な願いで、ピーメン一本で頑張って欲しいな…とも思ってた時期がありますけど、両方歌うひとも沢山いらっしゃいますし、やっぱりボリスのタイトルロールは、ロシアオペラの大役ですものね。
ということで、今はいずれやって欲しいなと思っていますけど、10年くらい先の話になりそうです(^^ゞ
投稿: ヴァランシエンヌ | 2006/12/03 19:04