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「エレクトラ」演奏会形式@シンガポール交響楽団(オレスト編)

(全体編はこちら

深く深く、どこまでも深淵で、そのまま暗い闇に引きずり込まれそうな、陰鬱でストイックな響き。
オレストの旋律には、そういう声が求められていると思います。

以下、ギリシャ神話でのオレステスのことは、ここでは考えずに「アレクサンドル・ヴィノグラドフのオレストを通じて私が感じたこと」に特化して、私の感想をまとめておきます。

なにぶん、実演に備えて予習として、まともに聴き込んだのはわずか一か月ですし、稚拙な部分も多々ありますが、ご容赦を。

******************

オレストは最初に舞台に出てきた時、彼は「死の使者」として、威圧的に語ります。
第一声の"Ich muss hier warten. "(僕はここで待たなくてはいけない)は、とことん暗くていいはず。
だって、死の知らせを持ってきたんだもの。そして、対話をしている相手をいぶかしく思いつつ(だって下女だと思い込んでいるんだし)あくまでも厳しく、荘重に(だって彼は、正当な王位継承者だもの)表現される方が相応しいと思うのです。

こういう「重さ」は、好みの問題とは思いつつも、私はバスの重厚な声で聴きたい。予習で聴いていたCDでの、バリトンの明るい声に馴染んだ耳には、ヴィノグラドフの第一声は、新鮮でもあり「やっぱり、こうでなくちゃ」と思わせるものでもあり。
今まで聞こえなかった、低音部の旋律線がはっきりと、力強く響いてきたのです。

シュトラウスにしろ、ワーグナーにしろ、分厚い管弦楽を突き抜けてなお、言葉を、音型をひとつひとつきちっと効かせてくれないと、物足りない。「エレクトラ」のような破壊的且つ不協和音の連続の作品に「旋律線」なんてものが重要なのか?と言われちゃうかもですが、私はこういう「音楽と言葉の抑揚の一つ一つがリンクした、お芝居のセリフのような歌詞&旋律」を前提として作られているドイツオペラ(ロシアオペラにもその傾向は見られると思います)こそ、旋律線に合った声を乗せて、言葉をしっかりと聴かせてほしいと思います。

"Lass den Orest. Er freute sich zu sehr
an seinem Leben, die Gotter droben
vertragen nicht den allzuhellen Laut
der Lust. So musste er denn sterben. "
(オレストのことはほっといてくれ。彼は人生を楽しみ過ぎたんだ。天の神たちは、あまりにも楽しみの声が高すぎることには我慢がならない。だから彼は死ななくてはならなかったんだ)

この部分のオケ、オレストの声に合わせるように、陰鬱な音がボーン、ボーンと響きます。そこに被ってくる声もまた、陰鬱で暗い声で、でもきっぱりと歌われる方が効果的です。そして彼の、子音をひとつひとつ、くっきりと響かせる歌い方…低音部がはっきり聞こえてくるからこそ、子音までビンビン響いてくる…
ヴィノグラドフをドイツオペラで聴いたのは久しぶり(2006年1月の「オランダ人@ダーラント」以来)だったのですが、思い出しました。
彼の、言葉の意味を一つ一つかみしめながら、ストイックに、丁寧に、語るように歌う…私が最も愛する、この人の美質。

"Elektra! Elektra!
So seh' ich sie? ich seh' sie wirklich? du?"
(エレクトラ、エレクトラ!僕は彼女に会えたのか?僕は本当に、彼女を見ているのか?)

この辺から、オケもより雄弁になり、エレクトラとの対話もますます緊張感を帯びてきますが「シンガポールのオケって、こんなにうまいの?」という感動も相まって、胸がいっぱい。ベアート@エレクトラとの掛け合いも、ぴったり。

"Elektra, hor mich.
Hor mich an, ich hab' nicht Zeit. Hor zu.
Orestes lebt. "
(エレクトラ、僕の言うことを聞いて。聞いてくれ、僕には時間がない。聞いて…オレストは生きているんだ)

"Orestes lebt."は、声をひそめて歌う歌手も多いんですが、彼はずばっと、力強く歌って、その後の
"Wenn du dich regst, verratst du ihn."(興奮すると、彼を裏切ることになるよ←意訳)
で、トーンを落とす。

そして対話のクライマックス
"Die Hunde auf dem Hof erkennen mich, und meine Schwester nicht?"
(中庭の犬たちでさえ、僕を見知っているのに、僕の姉さんには、僕がわからない?"

"meine Schwester nicht?"は、すごく大事なフレーズだと思うのです。
だけど、少なくとも私が聴いていたソフトでは、残念ながら「なんでここを、こういう風に、抑揚もつけずに、お経を唱えるだけ…みたいに歌うのかなぁ?」と思ってしまうことがほとんどでした。
(私が予習に使っていたソフトで、唯一満足できたのが、カラヤン盤のヴェヒターだけ^^;)

でも彼は、これまでの対話の全てのピークを、まさにここに持ってきた!という感じで、「姉さん、お願いだ、わかって…僕だ、オレストだよ」と、暖かくも力強く、きっぱりと歌ってくれました。そう、こうやって歌って欲しかった…

この1フレーズを聴いた瞬間「シンガポールまで来て、ほんっとに良かった…」って、思いました。そしてその後の、歓喜に満ちたオケの爆発。

私が予習の段階で「たぶん彼なら、ここの旋律を、もっと力強く聴かせてくれるはず」「彼なら、ここはこう歌うはず」「ここは、こういう風に歌って欲しい」って思ってたことを、彼はこの夜、全部全く、まさにそのとおりに歌ってくれたのです。

もし、私がバス歌手でこの役を歌うとすれば(^^; 私は彼が歌ったのと、全く同じ解釈で歌うと断言できます。私がこの役に求めていた「内に暗い情熱を秘めた、ストイックな求道者」的な解釈を、彼は完璧に表現してくれました。

歌い手が表現したがっていることを、聴き手の私が心(もっと深いもの…魂という方が、正解かも)を揺さぶられながら感応し、受け止める。
エレクトラのモノローグを挟んで、その後の二人の決意表明(笑)デュエットまで含めても正味20分程度の出番でしたが、素晴らしい体験でした。

私も彼のファン歴は、去年の年末で5年目に入りましたし、実演で聴くのは今回が15回目(そのうちの半分は、2007年の日本での公演)。
いつでも新鮮な気持ちで実演に接しているつもりでも、歌い手のエネルギーをまともに感じ、大げさな言い方をすると「トランス状態」というか、何かが憑依したような、のめり込むような、気が遠くなるような感覚…毎回こういう類の感動は得られませんし、今後もそうそう、味わえるものではないと思います。
それこそ、舞台の上で、待ちに待ったオレストと邂逅し、歓喜を得たエレクトラと同じ類の精神の高揚を感じていたに、違いないのです。

本当に、万難を排して行った甲斐がありました。

今、ちょうど聴いてきて2週間経ったんですが、今でも私の耳には、彼の"meine Schwester nicht?"が鳴り響き、記憶を確かめるように、相変わらず予習に使ったソフトを繰り返し、とっかえひっかえ聴いている最中。
そして「んんー、やっぱり私には、彼が特別。彼は完璧なオレストよ」と自己陶酔してみたり(笑)

実は、ここ最近の私の新たな趣味「遠くの席に座った時は、彼が歌っている時の顔を双眼鏡で覗きながら、デレデレニヤニヤする^^;」を堪能するべく、当然今回も双眼鏡は持参して行き、途中までは時々使っていたんですが、私のボルテージがぐんぐん上がって、ショート寸前になったころ、

「そんな、よこしまなことをしたら、気が殺がれる!!!この声と歌に集中して、身を浸すべき!!!」

という天の声(笑)が聞こえたので、その後エレクトラの"Orest! Orest! Orest....."の、あのモノローグで、彼がどんな表情をしているのかをちらっと確認した以外、一切使いませんでした。双眼鏡を使わなくても、肉眼でぼんやりと、表情もつかめましたしね。

この不思議な感動が「エレクトラ」という作品故なのか、彼の歌の力なのか、そのどちらによって齎されたものなのか、どちらにも陶酔したのか、わからないのですが、少なくともこの2年間、実演で接したマゼットエスカミーリョ、そして彼も大好きなコッリーネで感じたものよりも、深い陶酔&喜びであることは確か。

そして私は、分厚いオケと、言葉と声の掛け合いから生まれるリズム感を持つドイツオペラが、とても好きだということを、再認識しました。私の持つリズムが、この手の音楽に反応するように出来ているんでしょうね。

そして私の中に、この作品のタイトルロール・エレクトラのような、エキセントリックな面もあるのも確か。そうでなければ、こんな熱心に、憑かれたように、一人の歌手を追いかけるエネルギーは湧いてこないですよね(^^;

全体の感想は♪こちら

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2009年1月9日:リヒャルト・シュトラウス「エレクトラ」演奏会形式@シンガポール交響楽団
(場所:エスプラネード・コンサートホール

指揮:ケント・ナガノ
クリテムネストラ:スザンネ・レスマーク
エレクトラ:ジャニス・ベアート
クリソテミス:ダグマー・ヘッセ
エギスト:リチャード・デッカー
オレスト:アレクサンダー・ヴィノグラドフ
オレストの養育者&老いた下男:カイ・フローリアン・ビシュコフ

Jan.9 2009 Richard Strauss : Elektra-concert version @ Singapore symphony orchestra(Esplanade Concert Hall)

Kent Nagano  conductor
Susanne Resmark  mezzo-soprano (Klytamnestra)
Janice Baird  soprano (Elektra)
Dagmar Hesse  soprano (Chrysothemis)
Richard Decker  tenor (Aegisth)
Alexander Vinogradov  bass (Orest)
Kai Florian Bischoff bass-bariton (Guardian/Old Servant)

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コメント

レポに圧倒されました。うーん、これは私も聴いてみたいです。行かなくてはと霊感が働くときは、行くべきなんでしょう。シンガポールってあなどれない場所なんですね。知らなかった〜。

galahadさん:

読んで下さって、ありがとうございます(^-^)
毎回そうなんですが、もちっとクールに書きたいと思うのですよ。しかし今回は、いつも以上に誉め過ぎたかも(;^_^A

>霊感が


はは(笑)もともと物事をあんまり理詰めで考えず、本能の赴くまま行動してるせいですかね?
しかし、呆れながらも仕方なく(笑)温かく見守ってくれている周囲の人々の支えがなければ、これも不可能なので、感謝してます。
尤も、現実的な問題…先立つものがなければできないので、しばらくは自粛しますです(笑)

エネルギーチャージはしっかり出来たので、次回に向けて、しっかり稼ぎますp(^^)q

ほんと、シンガポールに行ってよかったですね
…と、レポを読んで今さらながら(私まで)しみじみ。

>「彼なら、ここはこう歌うはず」
>「ここは、こういう風に歌って欲しい」

うんうん、ずっと愛でて(笑)いるうちに、歌手本人の歌唱スタイルや解釈に、自分の感覚が同化してくる感じ…これがピタッとはまった時は快感ですよね生鑑賞ならばなおさらでしょう。
「ああ、この人のファンでよかった」「同じ時代に生まれて生の歌声に接することが出来るなんて、なんて幸せなんだろう…」と、身震いするぐらい幸せな気持ちになれるし(^^ゞ

Naoさん:

読んで下さって、ありがとうございます。
大人しい歌唱をするようなタイプに思われがちですが、内に秘めた熱を思い切って表現する瞬間が、ままあるんですよ(^^;
それがとても好きです。(覇気りんりんとは違うんですけど

>歌手本人の歌唱スタイルや解釈に、自分の感覚が同化してくる感じ…

そうですねぇ。同化してくるというか、初めて聴く役なのに、既に何回も聴いたことがあるような感覚というか。
もう一つ、私が無意識のうちに、この人の歌唱に絶対的信頼を置くようになったのかもしれません。
追っかけも伊達に5年目に入ったわけではないのですな(笑)

>身震いするぐらい幸せな気持ちになれる

なれますね(笑)

ヴァラシエンヌさん、お久しぶりです。公私共に激多忙ですっかりご無沙汰でした。今年もよろしくお願い致します!!

相変わらずのおっかけ道、素晴らしいです!!オデュッセウスも日本にいてはあまりお気に入りのティーレマンが聴けませんので、ウィーンやミュンヘンやバイロイトに飛んで行きたくなりました(笑)。

>もし、私がバス歌手でこの役を歌うとすれば(^^; 私は彼が歌ったのと、全く同じ解釈で歌うと断言できます。
この感覚、すっごくよくわかります。オデュッセウスも昨年3月ティーレマン/ウィーン国立歌劇場『パルジファル』で全く同じ体験をしました。そして同様に
>「トランス状態」というか、何かが憑依したような、のめり込むような、気が遠くなるような感覚…
に陥りました。

実演はやはりいいですよね。

オデュッセウスさん:

わあ!お久しぶりです!!コメントありがとうございます
こちらこそ、今年もどうぞ、宜しくお願いしますね。

>>もし、私がバス歌手でこの役を歌うとすれば(^^;
>>「トランス状態」

うわあ、男性にこの感覚を共感して頂けるなんて、すっごく嬉しいです。
こういう感覚って、単にうっとりするではなくて、聴き手が演奏家の真意を汲み取り、理解してこそ得られる、深いものなんですよね。
そして同性、異性を問わず、惚れ込んだ演奏家を持ったもののみ得られる、幸せ…なんだと思いますよ。

>実演はやはりいいですよね。

はい(^^)
オデュッセウスさんも、果敢にまた飛んで行って下さい(笑)
私は暫く、自粛せねばなりませんが…(^^ゞ

ところで来シーズンの新国のラインナップは、ドイツものがモロに私好みで(笑)なかなか魅力的ですね
「影のない女」が日本でいながらにして聴けるチャンスは、そうそうありませんし「ヴォツェック」も興味深々ですし。

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