《バビ・ヤール》ロマンティックな部分もあるのヨ?!
硬派でおっそろしい、おどろおどろしい音楽&皮肉たっぷりの歌詞ばっかりが続く、ショスタコーヴィチ交響曲13番ですが、この作品の中にも唯一、官能的でロマンティックな旋律と歌詞が、第一楽章の真ん中あたりにあります。
その後に続くのは、超破壊的な旋律ですが、私が全曲中で、最も好きな箇所です。
(「硬派な作品が好きなのっ」と言いながらも、私も女性ですから(笑) やはりロマンティックにヨワイのよvv)
参考サンプル:ゲルギエフ指揮2006年プロムスでの演奏
(独唱:ミハイル・ペトレンコ)
の、6:57辺り~
【独唱】
こんな気がする、ぼくはアンネ・フランク、
まるで四月の小枝のように澄み切っている、と。
ぼくは愛しているのだ。ぼくに言葉はいらない。
ぼくに必要なのは、お互いに見つめ合うこと。
なんてわずかしか会ったり、匂いをかいだりできないのだろう!
木の葉も禁止、青空も禁止。
だがとても多くのことが可能だ、
それは暗い部屋で互いにやさしく抱き合うこと。
【合唱】
ここにくるのかしら?
【独唱】
怖がらないで、あれはまさに春の轟き、
こちらへやって来る。
ぼくのところへおいで。
早くくちづけを。
【合唱】
ドアを破ろうとしているんだろうか?
【独唱】
いいえ、あれは雪解けの流水、、、
(引用:「バービィ・ヤール ウクライナのホロコースト」様より。第一楽章「バービィ・ヤール」 エフゲーニー・エフトゥシェンコの詩の邦訳に、私が「独唱」と「合唱」を書き加えました)
先日私が「解けた!」と大騒ぎしていたのは、この後半の合唱と独唱の掛け合い部分。私の手元にあるCDの日本語訳では、一人称を全て「ぼく」ではなく「私」で訳してあります。
それが必ずしも間違いではないと思うんですが(男性が自分のことを「私」と語るのは、別に変ではありませんものね)
後半部分の「ぼくのところへおいで。早くくちづけを」が
「そばへ来て。そして早く私にくちづけを」
となっているので、なんとなく、独唱が女性で合唱が男性なのかな?と、漠然と思ってたのです。
ここの部分、独唱者は思いっきりロマンティックに(ペトレンコもですが、特にコンドラシン盤のアルトゥール・エイゼンの、甘い囁きにはうっとりします)歌ってるので、
さあ、アレクサンドル・ヴィノグラドフは、どんな風にロマンティックに歌ってくれるのかしらと、期待してたんですが、
どう考えても、女性が男性に向かって「早く…」と懇願するには、あまりにも男性的で、全く「スイート」ではない歌い方だったので
「あの凄まじい↓の部分
(↑この演奏は、特に強烈です^^; ゲルギエフ先生の演奏では8:00あたり~)の、破壊的音楽を後に控えた緊迫の場面だから、
《うっとり》よりも、女性が男性を叱咤激励するような感じでの抱擁…と、彼は捉えたのかもね」
と、超自分勝手な解釈に収めようともしたんですけど(^^;
やはり、何気に釈然としない…
そこで、歌詞をもう一度読み直してみようかと思って、はっと気がついたのが
「これってそういえば、もともとエフトゥシェンコの書いた詩じゃん!」
ということで、そちらで検索をかけて探すことが出来たのが、上記の邦訳というわけ。
ヴィノグラドフの独唱には、この邦訳をあてはめたい!!!と思うほど、ぴったんこなんです、この訳。
一応「掛け合い」として成立している以上、どっちかに割り振りたくなるんですが(笑)
確かに、どっちにも取れるといえば取れるし、
あくまでも便宜上のことであって、どっちにも割り振らない解釈も成り立ちそうなんですけどね。
この方の訳し方だと「くちづけを」のあとは、男女割り当てが入れ替わっているようにも読めますし。
いずれにせよ、ナチ襲来直前(*1)の、緊迫した場面での抱擁ですから、最初に私が考えていたような、ロマンティックに甘く囁いて…という意味合いだけではなく、もっと深いもの。
《今にも死が迫ってきている極限状態で、男女が求め合い、愛し合うことの意味=性は、生きて行く上で不可欠なもの。明日をも知れぬ身だからこそ、お互いの体温を求めて、自分が今、生きていることを確認する為に抱き合うのは、人間の本能》
だということを、非常に生々しく感じることができる部分。
ヴィノグラドフはあの部分を「男性として」歌ったんだと思います。
甘さの微塵も感じさせない、きっぱりした歌い方で「なんてイロケのない朴念仁なのっ」と、微妙にがっかりもしたんですが、こう解釈すれば納得。
だから「彼で聴けて良かった…でなきゃ、単にロマンティックでうっとりするだけの場面だと思い込んでたもの」と思ったわけです。えへへ
(1)「バビ・ヤール」はウクライナのキエフ郊外に位置する谷。この地で1941年、ナチによるユダヤ人大量虐殺が行われたそうです。こちらのサイトでは、その概要を詳しく、客観的にわかりやすく説明してあるので、とっつきやすいと思います。
必ずしも作品理解の為に必要不可欠な知識ではないかもしれませんが、やはり、背景を知って聴くのとそうでない時とでは、重みが変わってくるような気がしました。
青臭いと言われるエフトゥシェンコの詩も、私は(CDのリブレットや、こちらでの邦訳を読んだだけですが)好きです。
自分でロシア語を読めるようになって、彼の歌い方に合った訳し方が出来るようになるのが、本当は望ましいんでしょうけど、ネf(^^ゞ
(あ~~ もし、そんなことが出来るようになれたら…すごく意義のあることかもしれませんネ。人生の目標にしようかしら)
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