111218 ムツェンスク郡のマクベス夫人@テアトロレアル・マドリード
ロシア語に「タスカー(тоска)」という単語があります。意味は平たく言うと、寂しさとか憂鬱とか「ふさぎの虫」と訳しているものもありますが、実際のところ日本語には直しにくい意味…とのこと。
でも感覚的には「ああ、ああいう感じかな?」と、日本人なら、潜在的に理解できるんじゃないかと私は睨んでいます。
この「タスカー」の権化のようなオペラが「オネーギン」であることは、多くの人々が否定しないと思います。
では、ショスタコーヴィチの書いた「マクベス夫人」は、そんな感覚とは無縁?
性と暴力に彩られたストーリー、カテリーナは、本能の赴くまま情事に耽り、それゆえ舅と夫を殺し、愛人と結婚、バレたらシベリア送り…の稀有の悪女だから?
今回の上演は、2006年ごろにアムステルダムで上演された(DVDやブルーレイも出ています)マルティン・クシェイの演出をレンタルしたもので、出演者も一部被っています。
(カテリーナのエファ=マリア・ウェストブロック、御舅ボリスのウラジーミル・ヴァネーエフ等)
クシェイと言えば、私にはベルリン国立歌劇場での「カルメン」と、ザルツブルグの「ドン・ジョヴァンニ」なのですが、前者は好き、後者はどうも好きになれなかった演出。
「今度見る《マクベス夫人》は同じ演出のDVDが出ているんだよ」と夫に話したところ、事前に見ておいた方がいいんじゃない?と言ったのですが、ただでさえ強烈な作品、先入観で引きたくないなぁ…との思いが勝り、結局、見ませんでした。
今回の席は、2階のサイドのボックス。舞台の奥の4分の1くらいは見切れますが、非常に舞台に近い為、双眼鏡も使わずに歌手の表情もよく見えましたし、面白かったのが、オーケストラボックスも見えるので、舞台を見たくない時には、そちらに視線を落としたりとかもできたこと。
結論から先に言うと「舞台演出」としては、非常に秀逸でした。
ぞっとする場面、目をそむけたくなるような場面も含めて、飽きることがありませんでしたが、物語の本質を突いていたかどうかは、別問題。
端的に言うと、西側のヴェールをまとった「マクベス夫人」という印象です。よく出来ているんだけども、なんか違う…という、釈然としない、もやもやした気分は最後までクリアになりませんでした。
(尤もこの作品は、作品自体が凄いので「飽きる」ということはないと思うのですが)
冒頭の場面での、ガラス張りの部屋に無数のハイヒールと、そこに囲われたカテリーナ。
その前方左手の壁に、鎖で繋がれた(本物の)犬がウロウロしている様子だけを見ても、ただならぬ雰囲気がプンプン。
このガラス張りの部屋ですが、映像で見るよりも、実物の方が(当たり前ですが)立体感がリアルに感じられます。照明の使い方なども、暗めですが、
なんというのかな…裸電球の明かりの色みたいな感じなのですが、映像になると色合いが上手く出ないタイプの色だと思います。
こちら↓は、テアトロレアルでのクリップですが、やはり実演で見た時の色合いではないと思いました。
http://youtu.be/vVgCPTnzrD0
アクシーニャの場面は、女性として思わず目をそむけたくなるほどリアルに演出されてましたけど、ガラスの部屋の天井から、梯子を伝って侵入したセルゲイとカテリーナの情交シーンは、ライトをフラッシュさせて、そのものズバリを見せるわけではないところも、よく考えられているなぁと思いました。
カテリーナはエファ=マリア・ウェストブロック。グラマラスなダイナマイトボディに、大ぶりの顔の作りで、目鼻立ちもはっきりした美人さんで、殆どのシーンをスリップ一枚若しくはそれに近い格好で通し、ブロンドの鬘もよく似合ってました。
声も強靭だけど、役作りも肉感的で…
そう、彼女の役作りは、なんとなくヴェリズモオペラのような感じ。
多分、冒頭に書いた「タスカー」とは無縁、これでは確かにカテリーナは「悪女」かもしれないなぁ…と思いました。
この作品のラストの、カテリーナの絶望感というのは、舞台で視覚化するのが非常に難しいと思うのですが、靴下をだまし取られたと知ったカテリーナが気がふれたとばかりに、ものすごい叫び声を上げていましたけど、そういうことじゃないのよねぇ、私の中のカテリーナって。
(↓のは、アムステルダムでの上演。叫び方は今回の方が、更に迫力を増していました…)
http://youtu.be/303TjlUpWpo
迫力はあるけど、憂いがない。もっとカテリーナって、ベタベタした情感というか、業の深い女性だと思うのですが、彼女のカテリーナは、そういう感じではない。やはり「西側の女」とでもいうか、彼女もまた西側のヴェールをまとったカテリーナと言うのが、一番しっくり来るかなぁ?
なので、ラスト近くの靴下の場面も、あまり胸に迫って来なかった。あそこはいつも、泣けて仕方がないんですけど…
それはセルゲイにも同じことが言えて、ま~~ホントに図体がでかくて(笑)チカラ自慢、●●自慢(^_^;;;;;;;;;)かよ~~!的なミヒャエル・ケーニッヒ(名前からすると、ドイツ系?)も、全く同情の余地なし。
確かにこいつ(笑)はとんでもない悪い男ですけど、彼は彼で、女性依存症的な面もあると思っているので~~
(カテリーナは決して、彼のナントカの部分だけに惹かれたわけではないと思うから)
「なんて悪い男なのっっっ」だけでは、説得力に欠ける…
今回の上演で、一番印象に残ったのは、テアトロレアルの合唱団。翌日の「ドン・キショット」の時にも思いましたが、合唱がフルに活躍するこの作品での見事な揃い方には、耳を奪われました。
また、街の中のそこかしこでは「うるさいっ」と思うことも多々あったマドリードの人々ですが、こと、オペラ鑑賞に関しては、ものすごくマナーが良く、私たちのボックス席でも、同席の人は、上演中誰一人として、お喋りはしませんでしたし、会場全体が真剣に鑑賞している空気で満ちていました。
その辺が、なんとなく新国での雰囲気にも通じるところがあったと思います。
新国で上演した時にも思いましたが、とにかく作品そのものが凄いので、実演で見る…というか、聴くと、いかに普段聴き落としている音が多いのか!ということに、まずビックリし、とにかくこの音の洪水を浴びるだけでも、カタストロフィを充分感じますし、
この作品が「3時間半の交響曲」と言われる所以がわかります。
やはり、ショスタコーヴィチは偉大だなぁと、結局は彼を賛美することに落ち着くあたりが、私の趣味嗜好でしょうね(^_^;)
なかなか上演機会のない作品…と言いながら、最近は上演すれば、映像収録も盛んに行われているのですね。この演出も、最初に書いたようにオリジナルのアムステルダムでの上演が収録されたDVDが出てますし、トリノでの上演の映像もあるようです。
YTでも、色々見られます。
家で映像をじっくり見ると辛すぎるので(^_^;) やっぱり、ロストロポーヴィチ盤のCD(でもこれは、カテリーナのヴィシネフスカヤがイタ過ぎて、辛いのーー;)を聴きつつ、舞台情景を想像しつつ、時にはこうして実演に当たるのがいいのかな…と思います。
ちなみに、ロストロポーヴィチの音源には、俳優さんが演技をつけた映画版の映像があります。YTにも上がってますので、ラストの場面をどうぞ。
野外ロケしてるだけあって「ああ、こういうことなんだ…」と、初めて観る人にも、一番わかりやすくていいかも…俳優さんも美男美女ですし、演技も自然なので感情移入しやすいと思います。カテリーナもまた「タスカー」に囚われた女性なのだと、思います。
http://youtu.be/_AoDaZsQha8
*********************
Lady Macbeth of Mtsensk @ Teatro Real, Madrid
Dec.18 2011 2階サイドボックス一列目での鑑賞
指揮:Hartmut Haenchen
演出:Martin Kusej
Boris Timfeyevich Iamailov: Vladimir Vaneev
Zinovi Borisovich Ismailov: Kudovit Ludha
Katerina Ismailova : Eva-Maria Westbroek
Serguei: Michael Konig
Aksinya : Carole Wilson
Police :Scott Wilde
Sonietka: Lani Poulson
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コメント
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実際の舞台を見ないと音楽も演出も立体感がわからないですよね。 特にクシェイの演出って全体を見ないと、その色合いや単に扇情的なだけではないということがわかりにくいと思います。
この演出はどちらかというとUDLの『カルメン』タイプですね。
相変わらず下着の女性がゾロゾロ…。
映画版はいいですね~。「タスカ」ってどう表現するものか難しいんですね、わかるようなわからないような。 寂寥感ともちょっと違う?
ミヒャエル・ケーニヒは、映画『魔弾の射手』のマックス役のひとですね!
投稿: galahad | 2012/01/09 14:04
galahadさん:
そうそう、カルメンの映像の時に「これは実物を見ないと、良さがわからないタイプだろうなぁ」と思ってたのですが、今回の方がもっとそういう感じがしました。
下着の女性がゾロゾロ…場面は、最終幕の監獄での様子ですが、男性も混じってましたし、なかには半裸の方もいたり、ナンカシチャッテイルカップル^^;もいたんですが、ちょっと人が多すぎて、窮屈な感じというか、肉弾戦な感じでした。
でも仰るように、単に扇情的なだけではないんですよね。アクニーシャの場面だけは、正直申し上げると、気分が悪くなりかけて、ずっと見てはいられませんでしたが、全体的に筋は通ってましたし、クスっとわらっちゃうようなところもありましたし。
見てみないとわからないタイプの典型的な演出でした。
>映画版
美しいでしょう? 途中、かなり激しいセクシャルシーンもあるのですが、それすらも美しく見えてしまいます(YTではアップした方の配慮に基づいて、カットされてますが)
話の筋と、心理描写のことを鑑みると、舞台に載せるのが非常に難しく、映画のような撮り方でないと、本来表現しうるべきことの全ては、表現しきれないのかもしれないなぁと思ったりも、します。
>>「タスカ」
なんとなく、ああいう感じかなあ・・・とは思うんですが、もちろん私もロシア人ではありませんから(笑) 本当のところはわかりません。でも、そういう想像すらできないタイプの人間もいますからネ^^
投稿: ヴァランシエンヌ | 2012/01/09 21:38
なるほど、「タスカー」というロシア語のイメージは、日本人や東欧人に比べると西欧人には理解しにくいものがあるのかな、と思えます。西欧と東欧の音楽にはかなり感覚的な隔たりがありますからね。
わたしは、ロシアや東欧の音楽のほんの少し哀愁を帯びた曲調には、心の琴線が共鳴するような気がして無条件で好きになることが多いです。ヤナーチェクやプロコフィエフやショスタコービッチには、それにモダンさが溶け合っているので最高。
でも、オペラの『オネーギン』で感じるのは、寂寥感というよりノスタルジーと都会的なアンニュイです。それも広義の「タスカー」に含まれるのでしょうか。
叙情的な寂寞感は、『ムツェンスク群のマクベス夫人』のエカチェリーナより、『カーチャ・カバノヴァー』のヒロインのほうがより体現できてると思えます。(前者はクシェイ演出のDVD、後者はクプファー演出の実演を観た印象ですが)
マドリッドで、ウェストブルック主演の実演をご覧になられたとは、うらやましい限りです。
投稿: レイネ | 2012/01/09 21:38
レイネさん:
松の内も開けてしまいましたが、今年も宜しくお願いします。
レイネさんが、ロシア・東欧音楽に対してそういう感覚をお持ちでいらっしゃったのは、ちょっと意外でした。
私も「なんとなく懐かしい感じ」がするのと、特にショスタコーヴィチには、ある種の扇動感とでも言うのでしょうか、煽られて茫然とするような感覚が好きなので、賛美しているのですが。
ヤナーチェクは、いっとき「イエヌーファ」にハマった時期があるのですが、それ以外のものは未だに手つかずです。《カーチャ》も見たいんですけど。。。
DNOの「オネーギン」のレポ、レイネさん宅で読ませて頂きました。映像も少し見てみましたけど、あの演出だと確かに都会的アンニュイな感じを受けます。
オネーギンと「タスカ」の関係は、なんだったかのオペラ解説書に書いてあったことの受け売りなのですが、それを読んだ時に「あ~~~~!なるほど!!」と、妙に腑に落ちたのですね。それが私の「タスカ探求」始めでもあったのですが。
>ウェストブルック
オランダの方なのですよね。私の持つカテリーナのイメージとは、少し違うな…と感じましたが、客観的に見て調子は良かったと思いますよ。
観客の反応も、とっても良かったですし、ご本人も歌い終えてすぐのカーテンコールでは、万感の思い胸に・・・・という感じで挨拶なさっていました。
投稿: ヴァランシエンヌ | 2012/01/09 22:17