レーピン展@Bunkamura ザ・ミュージアム
★これ★と同じ内容です。絵画関係なので、こちらにもまとめておきます:)
アレクサンドル・ヴィノグラードフの*1:降板@エルサレム室内音楽祭のニュースが飛び込んで以来、ショックでうじうじしている(つもりはなかったのですけど、傍目にはそう映っていたらしい((+_+)))
私を見かねた家族、友人が揃って
「気晴らししてきなさい!!!」
と云うもんですから(;一_一)
向かったのは渋谷・Bunkamuraのレーピン展。レーピンと言えば、かのムソルグスキー先生の肖像画。
あああ…気晴らしと言いつつ、何故傷口に塩を塗るような行動を自ら取るのだ・・・orz
(「死の歌と踊り」聴きたかった(T_T) ← まだ言ってる)
私は絵画音痴なので、よほどのことがない限り、画家と絵と、絵の名前を記憶できないのですが
(実は7月には、上野のベルリン国立美術館展にも足を運んでますし、あそこの絵は、当地ベルリンでも何度か見ているはずなんですが、確かに見覚えのある絵画が、ずらり並んではいたんですが。。。^^; これこそまさに「豚に真珠」ってやつですな)
記憶する、というよりも、私の嗜好にダイレクトに、繋がる…
絵の隙間から、そこかしこでロシアオペラが、声楽曲が聴こえてきます。ああ、これはあのオペラのあの場面を連想するわ、みたいな感じ。
ロシア音楽を聴いている時に感じる「丹田に響く感じ」に繋がる「丹田に響く鑑賞」とでもいうのかな…
そういう鑑賞ができました。
例えば有名な《ヴォルガの船曳き》(習作)での、船曳き達の苦悶に満ちた表情からは【ムツェンスク郡のマクベス夫人】で罪人がシベリア送りされるシーン。
《決闘》では【エフゲニー・オネーギン】でのオネーギンとレンスキーの決闘シーン、
《思いがけなく》で主人公の男が思いがけなく帰還し、その場の人々を驚かせる様子には同じく【オネーギン】での、オネーギンが数年の放浪の末、「あ~退屈だ」と言いながら、グレーミン侯爵の館に現れて、その場に居合わせた人々を驚かせるシーン。
《長輔祭》のひげもじゃの老僧からは【ボリス・ゴドゥノフ】の年代記を手掛ける老僧ピーメン(実際には当時の批評では、同じ【ボリス】の破戒僧ワルラームを想起させると言われたそうです)、
《樫の森の十字架行進》では改訂版【ボリス】のラストの民衆の場面(グレゴリーの「いざモスクワへ!」の勇ましい掛け声のかかるところ)
…とかね。
《トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック》(習作)は、ショスタコーヴィチの14番【死者の歌】第8楽章^^♪
そう、あの、えげつなくって虫唾が走るような、でもけっこう癖になる^^;バスの名曲(?)です(笑)
習作なのに、生々しいったらありゃしない。
《懺悔の前》では第7楽章の【ラ・サンテ監獄にて】をも連想したり。あれは、独房で「僕」と「理性」の二人っきり…という想定ですけど、でもあの曲の「僕」の表情は、きっとこんな感じだったのでは?と。。。
同じく【死者の歌】からの想起、《工兵将校アンドレイ・デーリヴィクの肖像》。
デーリヴィク=Дельвиг=デルヴィーク=Delvig。
そう、第9楽章の【おお、デルヴィーク】。モデルさんは別人なんですけどね。
《文豪レフ・トルストイの肖像》のモデルのトルストイだって、ショスタコ13番第5楽章の【立身出世】に出てきますしね(笑)
…まあ、ここまで来ると単なるこじつけ、にもなるんですが。。。
とにかく、学術的に、とか絵画法とか、そういうこととはまったくお構いなしに、ロシアオペラが、声楽曲が、聴こえてくる。
そしてその先に見えてきたのは、レーピンの愛した「家族」を取り上げた絵画たちの随所に見られる、郊外の森や田園、草原の美しいロシアの自然。
ああ、ロシアに行ってみたい、との郷愁を掻き立てられました。
どんな有名な美術館、展示会に行っても得られなかった充足感…
詳しい方、もっと知的な見方ができる方々から見たら、トンデモ…ではあるでしょうが、確実に私の血肉となりえた鑑賞が出来たこと。
絵画から少し外れますが、実はこのところ
「ロシア史には疎いし、ロシア正教のなんたるかも全くわかってないし、映画も文学も絵画も、そして音楽の専門知識も全くなし。
2年半習っているロシア語も全然覚えられないし、ロシア、Love~♥というほど、手放しでロシア好きってわけでもないし(^^;
彼がロシア物にだんたんシフトしてくれるのは嬉しいけど、私のようなものがロシアのクラシック音楽?を取り上げていて、レファレンスとか作って、ほんとに大丈夫なのかな?もっとふさわしい人がいるんじゃないかな?
だから勉強も全然追いつかないし、色ボケとか揶揄されるんだーー;(事実その通り・・;)」
と、自虐&自信喪失気味に陥ることがままあって、このまま続けていても、お金の無駄遣いじゃないんだろうか??とも思ったりしていてたんですが・・・
やっぱり、多分…私、ロシアそのものも好きなんだわ、好きの形は(たとえ根底には色ボケがあろうとも^^;)人それぞれでいいんだと、自己肯定してあげられたこと。
自分とロシア、ロシアとのかかわり、そして私の芯に根付いている彼への思いと、思い切り向き合った…そのようなことを、とても嬉しく感じた、実り多き時間でした。
絵画を通して音楽が聴こえる、音楽を通してロシアを感じる、ロシアを通して彼を感じる…
その連鎖が、私を支え、私の生きて行く糧になる。
ええ、傷口に塩を塗るような行為を通さなければ、自分の中の「核」「芯」には触れられないですからね。
ところで、トレチャコフ美術館からのお引っ越し展覧会は、3年前にも同じBunkamuraで開催されてます。
その時に見覚えがある絵が一枚。
そう、《ピアニスト・ゾフィー・メンターの肖像》です。当時、その展覧会でメインに取り上げられていたイワン・ニコラビッチ・クラムスコイの「忘れえぬ女」よりも、目ヂカラ(笑)に強烈なインパクトを感じたものでした。
この絵に再会できたことも、幸せでした。
★当時の感想 ⇒⇒⇒
それから忘れちゃいけない、敬愛するムソルグスキーの肖像ですが、これは古い画集での色合いよりも、実物の方が遥かに清潔感?というとちょっと語弊があるかもしれませんが、すっきりした印象でした。
レーピンの、天才ムソルグスキーに対する、並々ならぬ畏敬の念をダイレクトに感じることができます。よく言われるような、死相が見えている…的な雰囲気とは、かなり違う気がしました。
(お鼻もあんまり、赤く見えなかったし^^;)
もしレーピンとショスタコーヴィチが同じ時代に生を受けていたら、彼の肖像画もきっと手がけたんじゃないかな?そんな気もしました。
重たかったけど、図録も初めて買って帰りました。読み物としても面白そうですし、これからも折に触れて、開く機会を自分で作りたいです。
展示会は10月8日までBunkamura、その後は浜松、姫路を巡回し、来年4月末には再び関東…葉山にある、神奈川県立近代美術館のに戻ってくるとのことです。
後半の姫路と葉山では、展示品に多少の入れ替えもあるそう。
来年、葉山に戻ってきた時には、また行きたいです。それまでに図録をしっかり眺めて、参考文献とかも読み進められているといいな♪
それにしても「音楽と繋がった^^♪」とほくそ笑んでいるものの、見事に、ヴィノグラードフの関わっている作品ばっかだ…色ボケ( ̄▽ ̄)
*1:風邪引いたので大事を取ったそうです…考えうる一番イージーな理由でホッとした。それなら回復も早いだろうし、おおごとじゃなくてほんとに良かった。。。
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