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131107 エフゲニー・オネーギン@Metライブビューイング

5月にトリノで実演を見た「オネーギン」の感想も書いてないけど、先にこっちを書いてしまおう。

あまりにも巷の評判が良いので、逆に懐疑的になっていたんですが、正直に申し上げましょう。すっごく良かったです。

トリノのオネーギンが、今まで私が体験した「オネーギン」(実演、ディスクを含めて)一番良かっただけに(だから、つまらなかったから書いてないのではなく^^; 
あの時劇場で感じた感覚をどう表現しようかと考えあぐねているうちに、半年近くが経過してしまったというわけ:P これ見てようやくまとまりそうだわ)

あれを超えるかね〜〜?!記憶を上書きしたくないわ〜〜との穿った気持ちもあったんですが、
超えるとか超えないとかいう次元ではなく、琴線に触れる感覚は同じ…とでも言うのかな。。。ま、私、単にこの作品が好きだから。。。というのもあるかと思うんですけどね。

やっぱりスラブ系のキャストでまとめると、演奏の根幹の部分ががちっと決まります。そこに今回のような、基本的にはオーソドックスな舞台で上演されれば、もう…ね。
(これはトリノでの上演にも同じことが言えた)

Img_7

一番強く感じたのは「ネトレプコって、やっぱりロシア人女性なんだわ」ということ。澄んだソプラノの声とは言い難い声ですけど、タチヤーナには、こういう音色が相応しい。

そして彼女のキャラクターとは、およそかけ離れたところにいるタチヤーナ(だと思う)ですけど、
私は彼女がもっと、わざとらしく子供っぽく振る舞ったりするんじゃないかしら?と懸念していたんですが、そういった雰囲気はみじんも感じさせずに

一幕のおぼっこい雰囲気(オネーギンが手紙を返しにやってきたところで、髪をとっさに三つ編みにまとめたところがツボでしたw 手紙の場はもっと情熱を焚き付けるような感じで歌うのかな?と想像していたのですが、けっこう抑制してたんじゃないかしら)
二幕の戸惑いっぷり、三幕の公爵夫人としての貫禄とオネーギンに対する忘れ得ぬ情熱と抑制と…

全てにおいて、理にかなった表情と歌の表現がちゃんとはまっている。これってやっぱり「ロシアの血」のなせる業なんだろうなあと。

クヴィエチェンのオネーギンは、好悪が分かれてるのかな?品がなさすぎるとかいうようなご意見もあるみたいですが、身勝手な倦怠感とか、オネーギンの(ある意味では)持て余している歪んだ情熱…とでも言うのかな、若さ故のどうしようもなさ、弱さとかがストレートに現れていたと思います。

歌の方も、もう少し強い声で聴きたいな…と思う部分もないわけではなかったですけど、最後の2重唱でもばててませんし、旋律に合ったスラビックな響きは、聴いていて心地いい。

タチヤーナの拒絶(それは彼にとって、全てを欲しいままにしてきた若さの終焉を告げられた瞬間でもある)が、真綿で締め付けるような苦しさと苦さを彼に与えているのだと考えているんですが、こうもはっきり、きっぱり見せつけられると、胸に迫りました。

非スラブ系のオネーギンには、その系統のタチヤーナ以上に違和感を感じてしまうのですが、彼もやっぱり、スラブの血ゆえ・・かしら。
ライブビューイングで見たDGよりも、うんとうんと引き付けられました。

もう一人ビックリ!だったのは、レンスキーのベチャワ。10年ぐらい前の、パリでの上演のテレビ放送でレンスキーを歌ってたのも、若き日のベチャワでしたけど、巧くなりましたね〜〜

あの時はまだ演技も固くて、ナントカ発表会のような^^;雰囲気でしたけど、今やスターテノールの華やかさが感じられて。やっぱりロドルフォとかで聴くよりも、レンスキーがいいわあ。
存在感ばっちり、オネーギンと対等に渡り合えるレンスキーって、なかなかお目にかかれないですし。

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オリガは、(誰も触れてない気がするんですが^^;)タチヤーナと顔、似てるじゃないの^^! 
快活な雰囲気も良く出てたし、ホントに姉妹な感じに見えて違和感がなかったのが◎

グレーミン侯爵は…あの…音程がズレてませんでしたか??緊張して声が上ずっちゃったのかしら?それとも私の耳に問題あり???

農民の合唱のところで、女の子が一人いたぶられて?ましたけど、あれ、一歩間違えるとショスタコーヴィチの「マクベス夫人」のアニクーシャの場面に通じるな…^^;と思ったり、2幕のタチヤーナの誕生日のところで、最初にタチヤーナが目隠しされて連れて来られたのにはちょっと違和感がありましたが、概ねオーソドックスな演出、舞台装置ですし、今回、総合的に評判が良いのには、それもあるんでしょうね。

ちょぴっと物議を醸している(ような気がする)1幕&3幕の・・・は、ああいう風にすると安手のロマンスっぽくなるんですけど、今回に関してはどちらの場面も、説得力があったと思います。ぐっさりささる感じ。

男のどうしようもない衝動に女の子は振り回されるし、女のめらめらとまとわりつくような業に、男も苦しむ。キスという行為に絡めてみると、どうしても「その先」を連想してしまうけど、それだけじゃないのよね・・
やったあとに決して後ろを振り向かないタチヤーナに「私は決してあなたを許さないわよ」との怨念と、性より生(侯爵夫人として生きる)を選び取った潔さを感じました。それ故に痛い。
この辺りの描き方が、ザルツブルグの映像(マッティ&アンナ・サムイル)の、オネーギンとスリップ一枚で抱き合ったタチヤーナとの違いかな…こうなると安っぽく感じてしまうんですが。

私は10年近く前の在米時代に、アメリカの田舎で「オネーギン」を2回見ているんですが、その頃の上演は、ロシア的アンニュイとはかけ離れた、アメリカのメロドラマ西部劇と化していたんですけど、
(勿論キャストがスラブ系、というのも大きいですが)アメリカの「オネーギン」もここまで到達したのか…と思うと、なんだか感慨深かったです。

まあ、最近強く感じるのは、その作品に合った(合っていると感じる)歌い方、表現であれば、目に見えている演出とか、舞台情景は後からついてくるかもしれないな、ということ。今回は勿論、どっちも◎でしたけど、そういえばドイツ語圏のシュールな「オネーギン」(ミュンヘンのゲイのやつとか、ベルリンのパンダバージョンとか^^;)は見てないな・・ってことに気がつきました。あそこまで行くと、表現だ歌だとかは言えなくなるかも;;

ツィッターでもつぶやきましたけど、「オネーギン」は今やもう、スラブ圏だけのマイナー演目ではなく、世界的に上演回数もそこそこ多い、メジャーな演目になりつつあるのではないでしょうか?何しろMetで、6年で2つも優秀なプロダクションを出したのですから…ネ。

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エフゲニー・オネーギン@メトライブビューイング

指揮:ワレリー・ゲルギエフ 演出:デボラ・ワーナー
出演:アンナ・ネトレプコ(タチヤーナ)
マリウシュ・クヴィエチェン(エフゲニー・オネーギン)
ピョートル・ベチャワ(レンスキー)
オクサナ・ヴォルコヴァ(オリガ)
アレクセイ・タノヴィッツキー(グレーミン侯爵)

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