オペラ作品を、演出家と(歌手も含めた演奏家)が提示したものを、どう感じるかは人それぞれ、個々の聴き手次第だと思います。
難しいことは置いといて、要するに「どんな演出形態でも、心に響いてくればいい…」ということが言いたいのですが、それが「読み替え演出」で感動した!と文章に残す場合、何となく釈然としない反論を受ける確率が高くなるような気がします。
私は、オペラを含めたクラシック音楽は絵画と違って、楽譜を生み出した作曲家だけのものではなく、それを演奏する演奏家との共同作品だと思っています。オペラの場合、その【演奏家】のカテゴリーには、当然舞台演出家も含まれて然るべきでしょう。
逆に言うと、演奏する人がいなければ、作品として成り立たないわけです。
作品の範疇を超えるかどうかは、誰も決められないのではないかしら?
最近の演出傾向についての議論をするときに【演出家の自己満足】【独りよがり】ひいては【作品に対する冒涜】という言葉を散見しますけど、個人的にこの手の表現には、非常に違和感を感じます。
自己満足かどうかは当の本人でない限り、他人の精神状態なんてわかりっこないんですし、冒涜云々に関しては、宗教的意味合い以外には、使う言葉ではないのじゃないのかしら…なんて、フトドキなことを考えているってわけですf(^^;
作品の性質にも拠るでしょうし、聴き手側の精神状態、体調、その他色んな要因によって、一度観た時はこうだったけど、何年か時を経て観たら、全然違うように感じることだってあるでしょう。時代性もあるかもしれません。
繰り返し観る…ことはなくても、記憶の中で反芻したときに、あの時はこう思ったけど、ある日突然違うように思う可能性だってあると思います。
読み替え演出の全てに対して諸手を上げて「面白い」とは思いませんし、古典的な演出でも「面白い」と思うことだってあります。
答えは一つではないんですし、これがいい!こうであるべき!だなんて言えないのが本当のところですが、こういう見方もあるんじゃないかしら…と、聴き手の感じ方の一つの方向として、読んで下されば幸いです。
…ということで、この手の話題については過去にもあっちこっち書き散らかしているので、ここでざっとまとめておきます。
生意気なことも、いっぱい書いてますねf(^^;
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●頭に血が上って、よそ様のお宅で大暴れf(^^;
2005年3月23日のTAROさん宅の記事《オペラの演出−なぜ途中で帰れるのだろうか?》に書いたコメントより:
…>読み替えが批難されるのも、音楽的に無意味な演出があまりに多いからですよ。
音楽的に無意味かどうかは、個々の人それぞれの考え方ではないかしら?
能の話で恐縮ですが、かの世阿弥も『風姿花伝』でこのような主旨のことを書いています。
『どんな花でもいずれは散り、再び季節が巡ってきて咲くから珍しい=面白いのと同様、能においてもひとつのものに安住しないで、常に新しい表現を求めていれば、珍しさが生まれてくるのだ』
・・古典芸能だからといって、同じことの繰り返しでは『観客は飽きる』ので、常に新しさを求めて行かなくてはならないということです。そこに社会風刺を取り入れるのも、また然り・・でしょう。
私も同様に考えています。
もっとも、
>オペラというのはあくまで舞台付きの音楽であって、音楽付きの演劇ではありません。
という化石のような考えをお持ちの方には、到底理解して頂けないでしょうし、こちらもそういう啓蒙活動のつもりで書いたのではありませんので悪しからず。
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●この記事を受けてまとめた2005年4月1日の記事《私とオペラ(その3 ミーハー誕生編)より》:
…色んな人が出てきて、歌いながら演じる・・舞台設定も豪華絢爛なものばかりではなく、今風のものに変えてあるものもある!ヨーロッパ(特にドイツ語圏)では、時事問題を絡めた演出だって有ります。
オペラって、古典芸能ではなく、現代の人間に合わせて生きているものなんですよね!
ですから、演出については寛容です。だって、物語には色んな可能性があるわけですし・・
そしてその演出に合わせた、より洗練された演奏スタイルになっていくのも必然でしょう。
音楽とお芝居を切り離して考えることは、私にはできないです。
『この作品は、こういうものだ!』という固定観念に縛られなければ、今まで知り得なかった物語の新しい側面が見つかるかもしれないんですから(^_-)-☆
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●最終的には歌手次第かなぁ…なあんて。
2005年6月6日の記事《感情の表現手段・歌と演出》より:
…基本的に、私は演出自体は何でも有りだと思っていますし、奇妙キテレツな演出でも、歌手の表現がこちらに伝わってくるような様式感を持って、ピシッと動きが決まれば、別に設定はどうだっていい・・と思います。演出を生かすも殺すも、歌手次第・・でしょう。
最近の演出傾向で、色々やるのはケシラカンという話はもう、耳たこ(ーー;ですが、実は演出・舞台形態そのものよりも、歌手の動き方に問題があるケース、結構あるんじゃないかしら?
気持ちの高揚感を表現する為の手段が『演技や歌の表現』であり、それは誰かに指示されてできるものではないと思います。また、非日常空間ですから、様式美も必要とされるでしょう。
それを、誰かの指示でしか表現できないようでは、歌手の方に甘えがあるというか、そこまで役を突き詰めていないということになるでしょうね。
やはり、歌手の歌に対する真摯な姿勢、内面からの感情の高揚、その他色んなものがこちらに伝わる時こそ『生き生きとした上演』に巡り合えるのではないかと思います。
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●実演でも映像ででも、自分で観て聴いて、感じないと…
2005年8月4日の記事《実際に見ていないオペラに対する不思議な感想》より:
…基本的に《自分が見てないもの・体験してないもの》に関しては、良し悪しの評価はできないはずです。
(いや、もしかしたら気がつかないうちに、どこかでやっているかもしれませんけど…^^;)
そりゃ、舞台写真を見たり、批評を読んだりした結果、好奇心で見てみたいと思っている、奇妙キテレツ(と言われている)演出はいくつかあります。実際に見てきたら、悪口ばっかりになるかもしれません。でも見ないうちは「とりあえず見て見たい…」としか、言えないでしょう…
舞台写真は確かにインパクトが強いですし、見てみたい、若しくはこんなのは絶対にイヤ!と思うのは、それぞれ個人の自由ですが、ピンポイントの情報のみが先行し、憶測で全体の公演の評価をされることに対しての危惧を抱いてます・・
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●もやもやしているのは演出のせい?それとも…?それでも【演出家の独りよがり】だとは思っていないし、考えたこともない…
2006年1月13日の記事《ボリス・ゴドゥノフ@ベルリン国立歌劇場》より:
…今まで「演出が音楽の邪魔をする」という主旨の発言を色んなところで散見し、そのたびに「そんなことってありえるんだろうか?」と思ってきたんですが、初めて実感しました。
音楽に、彼の声に浸りたいのに、首をぐいっと掴まれて、浸るのを拒否させられるような感じです。
…見えるものが「ト書き」どおりではなくても、結構トンデモ…なことをやっていても、音楽と、すごくピッタリとハマるときって、あるじゃないですか。
作品の魅力を上手に伝え、 こちらの気持ちにぴったりと合うようなものなら、どんな形でも楽しみたいと思っています。
今回、どうしてダメだったのか…ということを、上手く表現できなくてもどかしい思いを…
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●20年前の《衝撃的斬新演出》も時が立てば、もはや古典…
2006年1月17日の記事《さまよえるオランダ人@ベルリン国立歌劇場》より:
もはや古典的と言える演出でも、個々の歌手が役を掘り下げて、突き詰めて歌い演じてくれれば、新しい側面が見えてくると思いました。非常に心のこもった、感動的な公演でした。
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